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本主题由 cat 于 2008-12-17 11:37 移动
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■《天声人語》     02月23日付    貧しさというのはわかりやすい。実感としてもそうだし、数字でも表しやすい。戦後、ほとんどの国民が飢えを経験したような国では、なおさらである。  最近ではあまり聞かれなくなったが、エンゲル係数という言葉がある。家計の支出のなかで食事代が占める割合だ。高ければ高いほど貧しいとされる。戦後まもないころは60%を超えていた。以来、下がり続け、現在は平均して20%ちょっとになった。  豊かさはどうだろうか。世界第2の経済大国と日本がいわれるとき引かれるのが国内総生産(GDP)だ。米国についで2番目に大きい。1人あたりにすると、円の強弱にも左右されるが、先進国中5番目前後に落ちる。さらに商品を買う力を計算に入れた購買力平価に換算すると、10位以下になる。こちらの方が実感に近いかもしれない。  国の経済力と個々の国民の経済力とは必ずしも一致しない。そのうえ、貧富の格差が大きくなっているといわれる。生活保護を受けている人は10年前の1・5倍近くになった。失業率が高まった。賃金格差が広がった。それらを例に橘木俊詔著『家計からみる日本経済』(岩波新書)が詳述している。  以前、本紙(大阪)に、62歳の無職の人からこんな投書が寄せられた。「3人家族のわが家のエンゲル係数は50%を超えて」いる、といって食費を切りつめる生活を紹介し、年金の一律引き下げをやめてほしいと訴えていた。  先週、GDPの高い伸び率が報じられた。朗報かもしれないが、同時に、豊かさの中身を考え直していく時代だろう。
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■《天声人語》     02月24日付 69年、ケニアの乾燥地帯の貧しい村で生まれた。16人の兄弟姉妹がいたそうだ。幼い頃の記憶はひもじさばかりで、母が歌で子どもたちのひもじさを紛らし、寝かしつける毎日だった。  77年、国連の食糧援助機関、世界食糧計画(WFP)が彼の通う小学校で無料の給食を始めた。「トウモロコシと豆の温かい食事だった。家では食べられないものだった。皆興奮した」。あの食事が彼に「力と意志」を与えてくれたという。「あのときの学校給食がなかったら、いまの私はなかったでしょう」  シドニー五輪の男子1万メートルで銀メダル、昨年のベルリン・マラソンで2時間5分を切る世界最高記録で優勝したポール・テルガトさんである。早々にアテネ五輪マラソンのケニア代表に選ばれた。  WFPは先月、テルガトさんを「飢餓撲滅大使」に任命した。彼にとっては、恩返しの機会を与えられたことになる。彼は語る。「1日1食の給食が飢えた子どもの人生を変えることができるのです。ドルでいえば1食たった9セントです」  WFPは40年以上にわたって現地政府と協力しながら、学校給食プログラムを進めてきた。資金難に悩みながらも、年間約1600万人の子どもを援助している。それでも世界で3億人にのぼるといわれる飢えている子どもの5%にすぎない。  「飢餓撲滅大使」として活動を始めるテルガトさんは、自分の半生を語ることがそのまま啓発になることだろう。マラソン選手としては、4月のロンドン・マラソンを経て、アテネ五輪で金メダルを目指す。
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■《天声人語》 02月25日付    「日本はいま十字路に差しかかっている」とアナン国連事務総長が指摘したのは99年11月、東京の国連大学での講演だった。「数年のうちに日本国民が行う選択は世界の人々に影響を与えるだろう」と語った。  あれから約5年、来日したアナン氏は昨日、国連事務総長として初めて国会で演説をした。本人も言うように「決定的な時期」の演説で、ときに率直に、ときに婉曲(えんきょく)に語りかけた。  氏は「多極主義を確固として信じておられる皆様」と呼びかけた。「皆様とは私たちのこと?」と顔を見合わせた議員もいたかもしれない。国会論戦で、国連との協調と日米同盟重視とを使い分けて防戦につとめた小泉首相はどうだったろうか。  99年の講演も、多数の国とのつきあいを重んじる多極主義が主要なテーマだった。「日本は強力に多極主義を進めている。そして国連を外交の基軸にしている」とたびたび言及、高く評価した。国会での言及も、嫌みやお世辞でなく、期待も込めた確信なのだろう。  「軍事行動を語り始めるときは、外交の失敗のサインだ」。当時そう語ったアナン氏が、今回は「いつ武力の行使が認められるのか、そして誰が承認するのか? 各国が独自に行うのか、それとも共に行う方が安全か?」と問いかけた。イラク戦争に至った「外交の失敗」への批判と反省とがうかがえた。  日本のイラク復興支援の「表明」には敬意を表し、「困難な議論を経」た自衛隊派遣にも言及した。5年前の「十字路」から、その後、日本がたどった道を直截(ちょくせつ)に論評することはなかった。
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■《天声人語》  02月27日付      最近の言葉から。女優の岸惠子さんが戦時下に「子供を止(や)めた日」を思い出す。「直撃弾を受けて燃えあがり、身もだえする我が家を、松の木に登って見ていた私は、顫(ふる)えてはいたが悲壮感など微塵(みじん)もなく、『今日で子供を止めた』と思った。大人の言うことを聞いて急拵(きゅうごしら)えの防空壕(ごう)に避難した子供達(たち)は、爆風による土砂崩れでみんな死んだ」と。  「ひとをにくんだり、さべつしたり、むりに言うことをきかせようとしたり、じぶんのこころに戦争につながるそういう気もちがないかどうか。じぶんの気もちと戦争はかんけいないと考えるかもしれないが、それでは戦争はなくならない」とは詩人の谷川俊太郎さん。  相次ぐ児童虐待について東京都三鷹市の子ども家庭支援センター相談員佐伯裕子さん。「最初に気付くのは現場の相談員。実際の危険性が10あって、相談員が8を感じ取っても、上に報告されるごとに危険性の認識が薄まっていきがち。いかに現場レベルで連携できるかがかぎ」  「火をおこせ」が口癖の日清食品社長安藤宏基さんは飽食の若者に「原始人さながら木をこすり、実際に火をおこしてみなさい、ということです。私は手を豆だらけにして3時間かかりました」  バースコーディネーターの大葉ナナコさんは「体が変わると心が変わる。意識が変わると細胞が変わるんです」  電話がなく手紙で予約を受ける民宿を岩手県で経営する坂本久美子さんは「一日も退屈したことはないわ。都会にはない貴重なものがあるから、わざわざ遠くから来てもらえるのかな」と。
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■《天声人語》 02月28日付      「なんのため、こげん責苦ばデウスさまは与えられるとか」。遠藤周作が江戸時代の苛烈(かれつ)なキリシタン弾圧を描いた小説『沈黙』に出てくるせりふだ。信徒は問うが、神は答えない。  「最終解脱者ならだれよりも人の苦しみがわかるはずだ。なのになぜあなたは、被害者の苦しみがわからないんですか」。かつての弟子は99年、法廷でオウム真理教の「教祖」松本智津夫(麻原彰晃)被告を問いつめた。彼は不機嫌そうに黙り込んだ。以来、沈黙を続けた。  神の沈黙は、重くて深い。しかし「教祖」の沈黙は何と皮相であることか。反論の言葉も見つからず沈黙に逃げ込んだ、としか見えない。  死刑を言い渡された昨日の法廷でも、松本被告はもぐもぐと口を動かしはしたが、意味ある言葉を発することはなかった。「あまりにもあさましく愚かしい限り」と被告を断罪する裁判長の言葉が、一瞬でも彼の頭にとどまる気配さえなかった。  豊かさをめざして疾走した戦後日本がたどりついた80年代は、どこか空虚感も漂っていた。「豊かな社会」のかかえる空洞に、オウム真理教は「超現実」の別世界をつくり、若者らに「にせの充実感」を与えようとした。この宗教組織をテロへと向かわせた責任者は松本被告である。  小説『沈黙』の主人公の司祭は、煩悶(はんもん)の末、踏み絵を踏む。自分が拷問に耐えられないからではなく、信徒を拷問から救おうとする「愛の行為」だった。煩悶のかけらも見えない松本被告には、沈黙を破って謝罪や悔悟の言葉を期待することさえむなしいのか。
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■《天声人語》  02月29日付    マグロ漁船の第五福竜丸が、ビキニ環礁での米国の水爆実験で被曝(ひばく)して、明日で50年になる。水爆による初めての犠牲者となった無線長、久保山愛吉さんが、その瞬間を記している。  「朝食をとり、それから機関部員室で雑談中、推定三時五十分ごろ、丸窓が日の出のように明るく輝いた。高木君は、『日が出たよ』と話しかけた。しかし輝きは西方だつた」。久保山さんは、被災から半年後に亡くなる。この文は、死後間もなく『中央公論』に「絶筆 死の床にて」と題して発表された。  同じ頃『婦人公論』には、妻すずさんの「夫の死をむだにしないで下さい」が載った。「私は、これからさきのことを考えると、何から何をどうしてよいのやらサッパリわかりません。けれども水爆の実験を、金輪際やめて頂きたいということだけは、ハッキリと申上げることが出来ます」  「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」。愛吉さんの言葉を胸に、すずさんは、被曝を機に広がり始めた原水爆禁止邉婴肆Δ蚓·贰ⅰ钙胶亭握Zり部」とも言われた。  昨日、東京の夢の島にある福竜丸の展示館に行った。一角に数本のバラが植えてある。愛吉さんは航海の合間に、自宅で熱心にバラなどの草花を育てていた。その世話をすずさんが引き継ぐ。そして93年のすずさんの死後、株分けされた。「愛吉・すずのバラ」として展示館以外にも広がっている。  うずくまるかのようなバラの上を、潮風がゆるやかに渡ってゆく。しゃがみこんで見ると、幾つもの芽がふくらみ、伸びようとしていた。
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《天声人語》  03月01日付    ふすまの下張りには、しばしば雑多な紙が使われる。いらなくなった紙の再利用も少なくない。そんな下張りがときに「歴史の宝庫」になる。  先週、76歳で亡くなった歴史家の網野善彦さんに発見をもたらしたのも、ふすまの下張りだった。網野さんらのチームが能登半島の旧家に残る史料を整理していたときのことだった。蔵に残るものからは旧家は豪農だと思われていた。しかし、大商人でもあったことが下張りに使われた領収書などからわかった。  「日本史の常識」をくつがえすような大胆な説を次々提示してきた網野さんは、会うたびに「私は正統派ではありませんから」と語っていた。蔵に保管された史料からは表向きの歴史しか見えてこない。従来の歴史学はいわば「蔵の史学」ではないかとの思いはあっただろう。  「百姓=農民ではない」と言い続けた。江戸時代までは、百姓というのは文字通り様々な仕事をしている人々だった。やがて百姓は農民を指すようになり、農民や農村中心に語られる日本観が定着していく。その見直しを唱えた。  海に囲まれた島国の閉鎖性、という見方も批判の的だった。物も人も海を利用して活発に移動した島国の開放性を強調した。網野史観では、日本社会はかつて実にダイナミックで、多様だった。そして豊かな可能性を秘めていた。  「負けた人間にしかわからないことの方が人間にとって大切なことがあるのではないか」。そう言いながら、歴史のかなたに忘れ去られていく人々を掘り起こし、刺激的な日本観を示し続けた人だった。
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■《天声人語》  03月02日付    色彩があふれる現代、白凑妞瘟Δ摔悉盲趣丹护椁欷毪趣ⅳ搿j幱挨呜Nかさに、あるいはまっすぐに訴えかける力強さに引き込まれる。  白摔瑜氡憩Fは、過去や記憶にかかわることも多い。懐かしさに誘い込まれることも、しばしばだ。「近代写真の生みの親」と題した「木村伊兵衛と土門拳」展(東京・有楽町朝日ギャラリーで3日まで)を見て、改めてその思いを強くした。  子どもの風景が印象的だ。たとえば土門の「傘を回す子供」。唐傘ならではの「遊び」の光景は微笑と郷愁を誘う。木村の「東京・江東」も下町の駄菓子屋の雰囲気をあざやかに切り取っている。対照的といわれる二人の作風だが、子どもへのまなざしは通い合う。  都市の廃墟(はいきょ)を撮り続けた写真家、宮本隆司さんの『新・建築の黙示録』(平凡社)は、88年の木村伊兵衛写真賞の受賞作を再編集した本だ。「撮影とは闇の中で光と感光材を出会わせることである」という宮本さんは、デジタル写真全盛のいまも白凑妞伟凳易鳂Iを続ける。「光は闇があるからその存在がある」と闇の意義を説く。  以前、青木保さんも文化人類学の立場から闇の重要さを呼びかけたことがある。光は生命や善の象徴であり、祭りでも主役として光彩を放ってきた。その光の輝きを際だたせるのが、死や悪の象徴である闇だった。しかし日本の都市は陰影をなくし、闇を奪ってきた。「もっと闇を」という趣旨だった。  光と闇、白と趣伍gを行き来する。一見単調な邉婴沃肖恕o限の味わいが生まれることもある。
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■《天声人語》  03月02日付    色彩があふれる現代、白凑妞瘟Δ摔悉盲趣丹护椁欷毪趣ⅳ搿j幱挨呜Nかさに、あるいはまっすぐに訴えかける力強さに引き込まれる。  白摔瑜氡憩Fは、過去や記憶にかかわることも多い。懐かしさに誘い込まれることも、しばしばだ。「近代写真の生みの親」と題した「木村伊兵衛と土門拳」展(東京・有楽町朝日ギャラリーで3日まで)を見て、改めてその思いを強くした。  子どもの風景が印象的だ。たとえば土門の「傘を回す子供」。唐傘ならではの「遊び」の光景は微笑と郷愁を誘う。木村の「東京・江東」も下町の駄菓子屋の雰囲気をあざやかに切り取っている。対照的といわれる二人の作風だが、子どもへのまなざしは通い合う。  都市の廃墟(はいきょ)を撮り続けた写真家、宮本隆司さんの『新・建築の黙示録』(平凡社)は、88年の木村伊兵衛写真賞の受賞作を再編集した本だ。「撮影とは闇の中で光と感光材を出会わせることである」という宮本さんは、デジタル写真全盛のいまも白凑妞伟凳易鳂Iを続ける。「光は闇があるからその存在がある」と闇の意義を説く。  以前、青木保さんも文化人類学の立場から闇の重要さを呼びかけたことがある。光は生命や善の象徴であり、祭りでも主役として光彩を放ってきた。その光の輝きを際だたせるのが、死や悪の象徴である闇だった。しかし日本の都市は陰影をなくし、闇を奪ってきた。「もっと闇を」という趣旨だった。  光と闇、白と趣伍gを行き来する。一見単調な邉婴沃肖恕o限の味わいが生まれることもある。
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■《天声人語》03月03日付      華やかで穏やかな今年の米アカデミー賞授賞式に多少の波紋を投げかけたとすれば、長編ドキュメンタリー賞の「フォッグ・オブ・ウォー」(E・モリス監督)だろう。ベトナム戦争を指揮したR・マクナマラ元国防長官への23時間に及ぶインタビューを基につくられた作品である。  受賞あいさつでモリス氏は、イラク戦争をベトナム戦争に対比し「40年前、この国はウサギの巣穴に落っこちて多数の人間が死んだ。いままたウサギの巣穴に落ちていくのではないかと心配だ」と述べた。  映画公開を機に、87歳の元国防長官に改めて注目が集まっている。母校のカリフォルニア大バークリー校で先月催された討論会への参加は、とりわけ興味深いものだった。というのも、バークリー校は68年の「学生の反乱」の拠点であり、ベトナム反戦邉婴巫瞍饧い筏ご笱Г我护膜坤盲郡椁馈
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