日文小説『神様がくれた指』
日文小説『神様がくれた指』
2007年本屋大賞受賞作家--佐藤多佳子の本『神様がくれた指』、一気読みまちがいなしの痛快作。
佐藤多佳子:
1962(昭和37)年、東京生まれ。青山学院大学文学部卒業。89(平成元)年『サマータイム』で月刊MOE童話大賞受賞。『イグアナくんのおじゃまな毎日』で98年度日本児童文学者協会賞、路傍の石文学賞を受賞。著書に『しゃべれども しゃべれども』『神様がくれた指』『ハンサム・ガール』など。
目次
第1部 愚者
第2部 魔術師
第3部 恋人たち
第4部 運命の輪
エピローグ
解説 坂田靖子
第1部
愚者
いつも彼自身が気づいていない落とし穴にむかって、旅を歩き始めているのである。
バーバラ・G・ウォーカー
辻牧夫は、やっと自分の服を取り戻したのはいいけれど、このチョンチョンの坊主頭がたまらねえなあと苦笑いしながら、早田のお母ちゃんの前に出てゆき、いきなりガバリと抱きすくめられたのには閉口した。
『マッキー!』会いたかったよ!もう、あんたってコは!いくら会いにいっても会ってくれないんだからねえ。看守にいじめられて死にかけれるんじゃないかと思ったよ。心配かけて。どうせ、あんたのことだから囚人服を見られるのがイヤなんだろうって咲は言ってたよ。そうなのかい?馬鹿だねえ。ほんとに馬鹿だよ。あたしらは、おじいちゃんでさんざん見慣れてるじゃないか。わかってるくせにね』
お母ちゃんはマシンガンのようにしゃべりまくり、熱い抱擁を終えてようやく身体を離すと、今度は厳しい目つきで彼の全身をくまなくチェックしはじめた。
『やっぱり少し痩せたかねえ。あんたはもともとがりがりなんだから食べるもんをちゃんと食べなきゃね。毎日あんたの好物をどっさり作ってあげるよ。まあまあ、あんだかドス黒い顔をして。そんな冴えない目をするんじゃないよ。マッキー!ほんとにこのコったら!』
マッキーというのは幼名であり、仕事仲間の間での呼称でもある。一年二カ月ぶりに、百万馬力をこめて呼ばれて、なるほど、正門のこっち側はシャバなんだと早くもしみじみと実感させられた。
同時出所した黒龍組の若手の平沢という男が、出迎えにきた舎弟二人とニヤニヤしながらこちらを見ている。
『うらやましいね。ままのお迎えとは』
冷やかされて、辻はどんな表情をしたものかわからずに歯をむいてニヤリとした。早田のお母ちゃんは血のつながりという点では本当のママじゃないけれど、生みのママ以上に本物の育てのママなので、冷やかされると恥ずかしい。
『あんたもダッコしてもらえば。オトモダチに』
挑発的なジャブを返すと、二人の弟分の目の色がすっと変わったが、先刻までのムショ仲間は落ちついたもので。
『俺はきれいな若い女が待ってるからね』
と悠然と切り返してきた。
その言葉で、きれいな若い女が自分を待っていないことに辻は気づいた。
咲がいない!早田咲が。
彼の顔に浮かんだ疑問符を素早く見てとってお母ちゃんは答えた。
『たいしたことないんだけどね。ゆうべ、ちょっと軽い発作お起こしてね』
辻はうなずいたが、心臓がドキリと鳴るのがわかった。子供の頃から、咲が喘息の発作を起すのが何より恐かった。あの、息が吐けなくなって吸って吸って吸ってエスカレートしていくヒュウヒュウという恐ろしい音、最悪の時には紫色になってしまう顔。肉体的に苦しいのは当人だろうが、はたで見ているほうだって、やはり肉体的に相当苦しい。
『夏なのにな』
と辻はつぶやいた。
発作は春先や秋口などの季節の変わり目にひんぱんに起こった。台風の来る前など大きな天候の変化にも弱かった。
『あんたが帰ってくるっていうんで、少し張り切りすぎたのかもしれないね』
お母ちゃんは言った。
『何を張り切るんだよ?』
辻は少しうんざりしたように聞いた。
『気持ちだよ』
お母ちゃんは芝居がかったジェスチャーで心臓のあたりに手を当ててみせた。
『あの子は、ここ二、三日、人が変わったみたいにおしゃべりになってたんだよ』
辻の脳裏に幼い頃の記憶が甦った。遠足や運動会の前の晩や当日の明け方に、咲はよく発作を起こしたものだった。
[ 本帖最后由 koume88 于 2007-12-19 10:36 编辑 ]
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个人空间 发短消息 加为好友 当前离线 2楼 大 中 小 发表于 2007-12-19 16:55 只看该作者
青白い小さな顔、すらりと伸びた細い首、飛び出た鎖骨、薄い肩。ちょっと乱暴に触れれば壊れてしまいそうな華奢な身体つきは、昔からほとんど変わっていなかった。
『冷たいこと言うんじゃないよ。あの子は、ずっと、あんたを待ってたんだからさ』
『病人置いて、来ることないのに』
辻は話題を変えたくなって、非難のほこさきをお母ちゃんに向けた。
『大丈夫。軽い発作だったから』
お母ちゃんはうなずいた。
『一緒に行くってきかないのを無理に寝かせて、耕二に見張りを頼んできたんだよ』
耕二は五つ違いの咲の弟だった。
『マッキーの手をしっかりつかまえて家まで連れて来てって、咲は言ってたよ』
『どこへ行くってのよ?俺が』
辻は憤慨するように鋭く尋ねた。
早田のおじいちゃんが死んだ時に家を出て、蒲田にアパートを借りて三年ほど一人で暮らした。しかし、早田家との縁が切れたわけではない。何かにつけ呼びつけられ、遠慮なく押しかけられる。逮捕されて服役が決まると、早田の家の者はさっさとアパートの契約を解除して荷物は家に運んでしまった。まったく、ほかのどこへ帰れるというのだろう。
黒龍組の連中は黒いベンツで走り去っていったが、辻と早田のお母ちゃんはカッカと照りつける八月の真昼の日差しの中をゆっくりした歩調で南大塚の駅まで歩いた。
『目がくらむだろう?』
とお母ちゃんが尋ねた。
『別に』
強がってみせたが、確かに目がチカチカして物が見にくいような感じがした。
『しばらくは苦労するよ。道を渡るのが大冒険さ。車のスピードが読めないんだよ。人込みもうまく歩けない。なかなか流れについていけない。あとは自動ドア、自動改札、けさまれないように気をつけるこったね』
『ものすげえ田舎モンみたいだな』
『そんなモンだよ』
そんなモンだったかな、と、辻は早田のおじいちゃんのことを考えた。十六回、入所し、半生を刑務所で暮らしたおじいちゃん。
『そういや、いつも手ェ引っぱってたよな』
おじいちゃんがだいぶ老いぼれてからだが出所後の外出には、必ずお母ちゃんがつきそって手をつないで歩いていた。
『手をしっかりつかまえて家に連れて帰って』
お母ちゃんは咲が言ったという言葉を繰り返した。そして、言葉どおり、突然、彼の手をつかまえると、がっちりと握りしめた。
反射的にその手をさっと振り払った。自分でも驚くほど素早く乱暴に。火傷でも負ったかのように。
『いやだねえ。おじいちゃんと一緒だね』
お母ちゃんは困った顔をして、かぶりをふった。
『いつも、そんなふうに怒られたんだよ。やめろってんだよ!手ェつかむなよ!キンタマよりイテエんだからよう!』
突然、おじいちゃんの声色でわめきだし、周囲の通行人の注目を集めた。
『えげつないなあ』
辻は呆れた。
『聞いたことないかい?』
お母ちゃんは豪快にカカカと笑った。
『あぶないからって手を引っぱってたわけじゃないんだよ。あの手がね、悪さをしないようにあたしが押さえこんでたんだよ』
あの手、おじいちゃんの手、名人の手、熟練のスリの手。
辻は歩きながら、自分の右手を目の前にかざした。女のようにほっそりした浅黒い長い指。きちんとそろえて、掌を表裏と交互にひっくりかえして見つめた。刑務所の労役とひどい石鹸のせいで皮膚が荒れて堅くなっている。右手の隣に左手を並べてさらに見つめた。
『そうだね。あんたは両方と使えるなだっけ。連れは二人必要か』
右手をお母ちゃんに左手を咲にあずけて、川崎駅の構内をしずしずと歩む自分の姿が目に浮かんだ。醜悪というよりは滑稽。
『お連れ様はけっこう』
辻はきっぱりと断った。
『悪さは致しません。道を渡る時はようく右左を見てから渡ります』
しかし、お母ちゃんは、ふんと鼻先で笑った。
『おじいちゃんとそっくりだね。あの人も、いつだって、そんなふうに言ってたもんさ』
西武新宿線の急行。平日の昼下がりの車中はすいていて、辻とお母ちゃんは三人掛けのシートを二人で占領した。
辻は、向かいの窓の外を流れていく街の風景にうっとりと眺めいった。とりたてて見所のない風景だが、風景が動くということが奇跡のように新鮮だった。
そして、この匂い!この振動!まさに"帰ってきた"という気分にさせられる。箱師という電車専門のスリとしては、どこよりも、なつかしく、うれしく、胸のときめく場所だった。川崎大師の家に向かうには、何本もの電車を乗り継がなくてはならないが、それぞれの電車にはそれぞれの個性があり、旧友との再会のように楽しみだった。
『ウチのお客さんで田代さんているだろ。ほら、駅前の団子屋の『もちもち』の旦那で、お父ちゃんの競馬仲間のさ』
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个人空间 发短消息 加为好友 当前离线 3楼 大 中 小 发表于 2007-12-21 11:00 只看该作者
全身で電車の感触を楽しんでいた辻は、相変わらず、お母ちゃんは一分と黙ってられないなとがっかりしながら、熱意のない相づちを打った。
『その田代さんの親戚がね、鶴見のほうで板金屋をやっててね、よかったらあんたに来てみないかって話があるんだけどさ。いい話なんだよ。あんたは器用だから、あの気になりゃ何だってうまく出来るじゃないか。まあ、あせって決めることはないけどさ。もちろんウチを手伝ってくれたっていいんだし。今は耕二が店に入ってるけど、ほら、やっぱり親子って遠慮がなくてだめでね、お父ちゃんと喧嘩ばっかり。お客の前で派手なやりあいして、みっともないったらありゃしないよ。あんたがいてくれたら、だいぶ丸くおさまるだろうと思うね。耕二も心強いだろうしね。でもね、ウチのお客さんみんな知合いばっかりだから、あんたもイヤかもしれないと思ってさ、その点、田代さんの話は何もかも全部承知で、しかもマエは隠して働いていいって言うんだよね。いい話だろう?新しい場所ですっぱりと一からスタートってのが、この際一番じゃないかって、ゆうべ、そんな話をしてたんだよ。みんなでね』
『へえ......』
として辻は言えなかった。遅かれ早かれ就職の話が出ることは覚悟していたが、帰りの電車の中でさっさと切り出されると思っていなかった。
職についた経験はある。高校を一年足らずで追い出されてから、知り合いのツテをたどって、印刷屋、畳屋、お好き焼き屋、映画館、自動車修理工場など職を転々とした。どれも仕事自体は嫌いじゃなかった。要領がよく、機転がきき、きびきび動いて雇い主にはすぐに気にいられた。でも、続かない。飽きっぽい。なんとなくコツをつかんだ頃になると嫌気がさしている。どこも小さな職場だったので、狭い人間関係が煩わしくなる。何よりたまらなかったのは、手が荒れる、汚れる、疲れることだった。ガス台バーナーの火に焼かれ、インキや油にどっぷりつかり、重い荷物の運搬やドリルの操作で震えがくる。辻にとって、仕事をするというのは手を台無しにすることだった。
板金屋ねえ 辻は知らずしらず溜め息をついていた。オシャカになりかけた車を再生するのは面白かった。しかし経験したうちでは、一番手にダメージを与えるきつい労働だった。
『まあ、しばらくはゆっくりしてなよ』
お母ちゃんは辻の溜め息を聞き付けたのか、そんなふうに言った。
『ゆっくり骨休めして。ゆっくり考えて。大事なことだからね』
一拍置いて続けた。厳しい声に変わった。
『本当に大事なことだよ。今が本当に大事な時なんだよ。ムショに一度入るのはいいさ。でも二度入ったら、あとは、もう底なしだからね』
十六回入ることになるか、おじいちゃんみたいに、と辻は思った。それだけの根性がないなら、確かに足を洗う潮時なのだと自分でもよくわかっているのだった。
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